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屋上菜園 徒然草 1月13日

明けましておめでとうございます。今年も徒然草を書いていきますので、よろしくお願い致します。

北千住の屋上菜園は年末年始、2週間ほど世話をしていませんでしたが、ブルーベリーに一斉に芽がつきました。パセリ、ミックスレタス、玉葱、青梗菜も順調に育っていました。イチゴ畑は一部葉が赤くなったものがありますが、元気そうです。

mebuki.jpg   ← 《ブルーベリーの芽吹き》

paseri.JPG mix-letasu.JPG tamanegi.JPG chingensai.JPG ichigo.JPG

屋上を吹き渡る寒い風の中で、成長していく野菜の力を改めて感じました。トンネルもなく、寒冷紗も掛けず、何もカバーをしていませんでした。年末年始は暖かでしたので、それでも良かったのでしょうが、寒さはこれからが本番。寒さ対策に入ります。

さて今年最初の徒然草なので、大江戸野菜研究会のネーミングに因んで、江戸時代の江戸の野菜栽培の様子を少し振り返って見てみることにしたいと思います。題して「大江戸野菜ミニ物語」。

ところで江戸時代の江戸の範囲はどこまでだったのでしょうか。どこまでを江戸の市内(御府内)とするかは文政元年(1818)まで明確な定義が無かったとのことで、この時老中によって定められた御府内は「朱引内」と呼ばれ、大江戸と言われる地域になったとのことです。この朱引内は寺社奉行の勧化を許可する範囲が基準となっていました。一方「朱引内」より狭い「墨引」と呼ばれる地域があり、これは町奉行による支配範囲でした。

ここで注目すべきは「朱引内」の土地利用が以下のようになっていたことです。石川英輔氏の計測によれば、
農 地  47.4%
武家地  33.7%
寺社地   5.4%
町 屋   9.9%
河 川   3.6%
(総面積 4961万坪=164平方キロメートル)「大江戸えころじー事情」

石川氏の使った「復元 江戸情報地図」朝日新聞社平成6年刊、が具体的に何年頃の江戸の地図が分かりませんが、「朱引内」と呼ばれる区域を対象にしているところから判断して1818年以降の地図と推測されます。
農地がほぼ半分を占めていたことになります。さらに言えば武家地の中の下屋敷には前栽畑がありましたから、実際の農地面積はもっと多かったのではないでしょうか。この土地の百分率から見えてくるのはまさに「地産地消モデル」です。
御府内の農地と郊外の農地、つまり村が江戸の住民のために野菜を供給していた有様が見えてきます。

ここで江戸農業の発展をざっと振り返って見ます。

1700年代に入ると江戸の人口は既に100万人を超し、世界最大の都市になっていましたが、武家地、寺社の敷地には樹木が多く現在の東京とは、全く異なり森の都だったと推測されています
これだけの大消費地の中にあっては、農業自体も売るための農業、つまり商業生産に変わっていったのは当然の成り行きだったでしょう。儲かる農業への転換です。有名な「農業全書」は農業技術の指導書であり、集約的栽培法に力点を置いているとのことです。因みに江戸東京博物館には宮崎安貞の原本が陳列してあります。また他人より一日でも早く市場に出すために稲は早稲・中稲が採用され、木綿、菜種油など特産物農業のために干鰯などの速効性肥料が用いられたとのことです。

江戸時代は農業も商業農業に転換していく過程で、御府内の外での栽培が増え、いわゆる産地が形成されていきました。小松川村の小松菜、練馬村の練馬大根、砂村のネギなどがその代表例です。攝津から江戸東部(現在の江東区)に入植した砂村新左衛門は京野菜の種を植え、砂村周辺を野菜の供給地とし、葱、人参、胡瓜、茄子などを生産したとのことです。

また武家地の下屋敷でも自国領の野菜を家庭菜園風に栽培していましたが、さまざまな事情があったのでしょう、郊外の農民が栽培するようになっていきました。その結果下屋敷から広まった野菜の一つとして練馬大根がありますが、これは尾張の宮重大根が品種改良されたものとされています。

江戸は単身赴任族が多く、男性が人口の大多数を占めていたと言われています。また食事もファーストフードが多かったようで、野菜などはどのように食べていたのでしょうか。現在の私たちのように生で食べるということは殆どなかったのではないでしょうか。

江戸の農業の発展を見ていくといくつかのことに気付きます。

1.地産地消で野菜毎に産地が形成されていった
2.商業生産、特に競争に勝つための先行栽培が盛んだった
3.日本全国の野菜の種が江戸に持ち込まれ最初は下屋敷などで栽培された
4.日本全国の野菜の種が江戸で品種改良されていった
5.米以外の商品価値の高い作物が多品種栽培されていた

野菜という視点から江戸時代を見ると何か新しい面が見えてくるかもしれません。

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